銀行本店部長からIT企業の経営者へ転身——会社の窮地を救ったパイオニア精神

占いコンテンツ事業を核に創業した株式会社メディア工房。現在はゲーム事業をはじめ幅広い分野に事業拡大しています。

しかし創業初期には経営危機も……。

数千万円の赤字を一気に黒字転換したのが、現代表取締役執行役員社長の長沢一男。その逆転劇の要は、決して諦めないパイオニア精神でした。

史上最年少本店部長ポストを捨て、経営危機のメディア工房へ

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1977年、メディア工房の代表取締役執行役員社長の長沢一男は日本不動産銀行(現日本債券信用銀行)に入行。融資・投資業務と法人営業畑を歩み、1998年、当時最年少で本店部長に就任します。

長沢「ずっと昇進したいと思っていました。だからこそ本店部長に就任して、銀行員としての人生はこれでもう安定だなという満足感もありましたね」

ところが、世の中の流れが突然大きく変わります。バブルが崩壊し、多くの企業が減収減益となり“日本列島総不況”とも呼ばれ、銀行は次々と経営破綻。長沢の勤める銀行も一時経営破綻し、国有化されることになりました。そして経営陣が一新し、仕事の進め方も大きく変わってしまうのです。

長沢「まるで違う会社のようになってしまった。これではダメだ、きっと自分はここではやっていけないと思ったんです。そうなると選択肢はふたつ。転職するか、起業するか。しかし銀行員が転職して成功した話はそう聞かない。ならば起業しかないのか、なんて考えていましたね」

そんな風に考えあぐねていた頃、まだ有限会社だったメディア工房を創業した知人から経営相談を受けました。その知人はIT知識には長けていましたが、経営に関して知見が少なく困っていたのです。

そこで長沢は税理士を紹介し、自らも数千万円を出資。それでもメディア工房は経営難からなかなか脱することができず、ついに長沢は「社長をやってくれないか」と懇願されることになります。

長沢「数千万の出資金を諦めて銀行で余生を過ごすか。それとも自ら社長になって立て直すか。いよいよ決めるときだな、と」

そして自身の得意分野である投資業務から離れ銀行を退職することを決意。ついに未知の業界での再スタートを決断します。当時の長沢は、ITも占いもまったく知らない世界でしたが、不安はありませんでした。

長沢「不安だとは考えていませんでした。まぁ、できるだろうと。当時どのポータルサイトでも、天気とニュースと占いはトップコンテンツだったので、事業として“占い”は大丈夫だと確信していました」

3カ月で1億円調達。それでも、4,500万円の赤字

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退職を決意し辞職願を提出したものの、上司の強い引き留めにあい、なかなか承諾を得るのに時間を要しました。

そして2001年1月に退行し、メディア工房の社長として再スタート。まずは資金調達に奔走する日々がはじまります。

長沢「当時、次男が高校受験だったので、妻には心配もかけましたね。とにかく私は資金調達のために収支計算やメディア工房の強みをプレゼンする資料を日々一生懸命つくることに必死でしたから」

その春、めでたく次男も高校に合格。長沢の奔走の甲斐あり1億円もの資金を調達することに成功しました。しかし、安心したのも束の間、4月以降も数字はプラスになりません。

固定費がかさみ、1億円調達したにもかかわらず8月決算では4,500万円の累積赤字……。未知の世界に飛び込むことにも動じなかった長沢も、さすがに焦りはじめました。

長沢「なぜ数字が上がらないのか、社員に聞いても理由がわからない。そこではじめて自社サイトを見て、驚きました。コンテンツの最初と最後でまったく逆のことを言っていて、占いとして成立していないんです。でも担当本人はちゃんと書いているつもりで……。これはもう国語力の問題だなとわかりました」

ようやく会社の危機的な状況を察した長沢。このときから、メディア工房の歴史に残る大改革がはじまるのです。

社長“兼”ライター、徹底的にコンテンツを見直す

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すぐに長沢は制作現場の大改革に着手しはじめます。社内のライター、デザイナー、プログラマーは占いについては門外漢。驚くことに、占いで必須アイテムとなる「運命盤」についての知識もありませんでした。

長沢「重要なのは運命盤となるロジックと文章。まず社外の専門家をなんとか探し出して、監修を依頼しロジックを充実させていきました」

ちなみにこのロジックスタイル、のちにメディア工房のヒットコンテンツの原型となります。この頃から現在に至るまで、さまざまな占いの専門家とコラボレーションしてきました。

そして、次に大事な文章。占いに特化している専門ライターはいなかったので、長沢は自身がしばらくライターになることを決意します。とはいえ、1コンテンツに対し最低24パターンもの原稿が必要だったため、大変な苦戦を強いられることになります。

長沢「実際にやってみると想像以上に大変でしたね。通勤電車の中でもひたすら原稿を書いて、眠れなくなるほど原稿のことで頭がいっぱいでした。しかも、やっとの想いで原稿をあげると、次の原稿作成のための膨大な資料がすでに用意されていて(笑)」

限界を感じた長沢は、社員の教育に踏み切ることになります。とにかく社員の国語力を上げないと、いいコンテンツには繋がらない。そこで長沢は国語のテスト問題を作成し、社内テストを実施。さらにひとりのライターを半年間つきっきりで育成してことで、ようやく一人前のライターが仕上がりました。

このような苦労を経て、ようやく“社長兼ライター”から解放され、社長業に専念できるようになるのです。

4,500万円の赤字からたった5年で東証マザーズ上場

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かくしてメディア工房の占いコンテンツ制作の基盤が築かれていきました。

当時、占いコンテンツは自社サイトの配信と企業からの受託が中心。占いは高い価値があり、受託の場合なんと1コンテンツで1,000〜2,000万円という収益が出ました。

その中でも印象深いのは、音声占いコンテンツです。ある企業から「音声を認識して文字化する音声オートシステムを使ってみないか」という話がメディア工房に持ちかけられたことがありました。コンテンツ内容は、恋愛モノです。

長沢「面白そうだしやってみたいと軽い気持ちではじめたのですが、ある夏の深夜、音声占いにアクセスが集中してサーバーがパンクしたんです。システム対応、先方への謝罪と事態の収拾に走り回りながらも、“やはり占いは恋愛なんだ”とつくづく思いましたね。これぞ、コンテンツの強さです」

以降、メディア工房の占いコンテンツは恋愛に特化しはじめ、事業の方向性も定まります。そして、社長就任から2期目、ついに黒字化を実現するのです。

長沢「当時、配信の売上げは月20万円程度。30人近くいる社員を養っていけたのは受託があったからこそです。しかしたまたま受託の調子が良いだけで、自社配信で利益が出るようにしないと経営が危険だとも考えていました」

そこで長沢は、「配信売上げひと月100万円」という目標を掲げます。そこから社員一丸となって配信コンテンツにも力を入れはじめ、3期から4期にかけては配信コンテンツでも利益が生まれるようになりました。

そして2006年9月、ついにメディア工房は東証マザーズ上場を達成——。

長沢の社長就任から、ちょうど5年が経つころでした。

 

Text by PR Table

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